なぜ、医療過誤事件に取り組むようになったのか
【なぜ、医療過誤事件に取り組むようになったのか】(2015.7.27 みのり法律事務所ホームページから)
私が患者側で医療過誤事件にはじめて取り組んだのは平成5年で、先輩弁護士から医療過誤事件を一緒にやってみないかと声をかけられたのがきっかけでした。
21才の青年が体調不調を訴えて、夜間、開業医の診察を受け、入院となったが、入院3日目の早朝に死亡した事案で、入院後、画像検査もされず、また症状悪化し、意識混濁となった後も転送措置をとらなかったため、死亡するに至ったとして開業医の過失を問う裁判を起こしました。
医療過誤事件は、医療という専門的な領域に属する事項について判断がなされるため、証人尋問後、専門家の鑑定意見を求める例が多いのですが、この件でも、医師の尋問を経た後、「鑑定人」が選任されました。裁判所が選任した鑑定人は○○病院院長、○○大学名誉教授、○○学会会長という、肩書きは立派な方でした。しかし、その鑑定は患者に対する偏見に満ちた不公正・不正義なものでした。
我々はこのような不正義がまかりとおってはならないとの決意で、「鑑定人尋問」により、鑑定人に対し疑問点を質し、その問題性を準備書面で主張したところ、裁判所の理解を得ることができ、「再鑑定」が行われることになりました。再鑑定では当初鑑定とは全く逆の、医師の過失を認める結論が出て、裁判所の「和解勧告」により、再鑑定に従った、医師の有責を前提とする「勝訴的和解」を勝ち取ることができ、依頼者の方からも感謝して頂きました。
権威ある鑑定人が、医師の過失を明確に否定したのですから、患者側に訴訟上、圧倒的に不利であり、精神的にもかなり追い詰められます。野球に例えるのは不謹慎だとおしかりを受けるかもしれませんが、比喩的にいえば、3対0の劣勢で9回裏ツーアウトまで追い込まれている状況に近いように思えます。しかし、相手が権威ある鑑定人でも、自分が正しいと信じるところに従い、十分な準備のもとに、鑑定の疑問点や矛盾をついていけば、その問題性を浮かび上がらせることも可能であることをこの訴訟で学ぶことができました。
医療には素人である弁護士が医療過誤事件を担当することは容易なことではありません。また医療過誤訴訟の第一人者である加藤良夫弁護士は、医療過誤訴訟には「専門性、封建性、密室性」の3つ壁があるとされています。あるいは医療過誤事件の取り組みには一般民事事件の数倍ないし10倍以上の時間と努力が必要です。しかし、その労苦を乗り越えて、勝訴を得た時の充実感は他に代え難いものがあります。
この事件を経験したあと、医療過誤事件を自分の大切な活動領域にしたいと考えるようになりました。
また、その後の医療過誤訴訟で不利益鑑定を何度も受けました(当方に有利な鑑定と言えるのは1回程度)が、文献探しや協力医探し等と、右往左往しながらも、大半の不利益鑑定を克服して、勝訴ないし勝訴的和解に漕ぎ着けることができたのも、この時の経験が礎になっていると思います。
現在、概ね5~10件前後の医療過誤事件を担当しています。
以上